今日の仕事が一段落し、木陰でのんびり休憩していると草木が揺れる音と共に目の前に影ができた。

「お疲れちゃん。休憩中?今日も相変わらずカワイイね〜」

出た、あさぎりゲン。
うすっぺらで飄々と掴み所のない言葉。かつて渋谷辺りをウロウロしていたチャラいお兄さんだって、もうちょっと意匠を凝らした言葉をかけてきそうなものだ。

「……人違いじゃないですか?」
「しないよ人違いなんか。そこはメンタリストだし、信じちゃってよ」

口元に人差し指を立てて片目を瞑る芝居がかった仕草。手先も口先も、器用な人。
そんな人に毎日振り回されるのが、土の上に転がっている石ころみたいに平凡な人間にはそろそろ厳しくなってきた。
まんまと彼の軽妙な態度に踊らされている自分が滑稽だった。

「うんうん、もう分かったから」
「あ〜それ全然分かってくれてないね〜」
「今日で最後にして、お願いだから」
「名前ちゃん……」

彼は大袈裟に肩を落として踵を返す……かと思いきや、何を考えてるのか私の真横に腰を下ろした。

「ゲン近くない?」
「近くない近くない」

流れる沈黙。
絶えず口を動かしているゲンが黙っていると、少し不気味だった。
この静かな空気をどうにかして打ち破りたい。まるでこちらから話しかけてくるように誘導されているような……ああいけない、危うく罠にかかる所だった。

「……龍水ちゃんには、」
「へ?」
「この前龍水ちゃんに褒められた時はありがとうって言ってた」

突然出てきた第三者の名前に二の句が継げない。

「龍水は……そういう人だから……?」
「そういうってどういう人」
「そこ深掘りするの?」

龍水は女は皆美女だと言う。本当にそう思っているのだろう。科学王国の人間全員がそれを知っている。だからこちらもその辺の女Cとして「ありがとう」と返せるのだ。とはいえ、彼の言動に慣れてきたのはつい最近の話だけれど。
一方ゲンはどうだろうか。ゲンもだいたいの女の子の事をかわいいと思っているような気がする。それでも、顔を見るたびに「かわいい」だのなんだのと言われたら気後れしてしまうというものだ。

「んー、やっぱりやめとこっかなぁ、聞くの」
「そっか」
「そこはもうちょっと粘ってくれない?」

今日、長いな。一体なんなんだ。
食い下がったと思えば、やっぱりいいと投げ出したり。
そう、今のゲンは全然いつものゲンらしくない。

「ゲン、どうしちゃったの」

ゲンは私の問いかけに答えることなく口をつぐむと、鼻から細く長く息を吐いた。その仕草を見ていると何故だかこちらの呼吸が苦しくなってくる。でも、目を逸らせなかった。
吸って、止めて。吐いて、止めて。
何度か繰り返した後、ゲンが沈黙を破った。
普段通りの、少し高めのトーンだ。

「ぶっちゃけさぁ、毎日毎日言ってれば意識してもらえるでしょって魂胆だったんだけど〜」

……してるよ、現在進行形で。
そっけなくしてしまうのは、彼の思うつぼなんてちょっと悔しいから。

「名前ちゃん、コツコツ積み上げてきた石の塔の横にいきなり金ピカゴイスーな豪邸建っちゃった時の気持ち分かる?」

ゲンは口をへの字に曲げて、恨めしそうにこちらを見ている。
その瞬間に分かってしまった。
頭から爪先へ電流が走るように理解してしまった。

「や、やきもちだ!」

というか、意識して欲しかったのか。ゲンが、私に?

「あーもー俺超カッコ悪いんだけどー……」

膝に顔を埋めたゲンは、声色だけは明るく「今絶対こっち見ないでね」なんて言っているが、そのお願いは聞いてあげられない。
髪から覗いている耳が紅葉みたいに真っ赤だった。

「嫉妬して自爆とか一番やっちゃダメなやつでしょ」

丸まった背中に手を添えた。あたたかくて、ドキドキしている。
心臓は嘘をついてない。

「そんなことない。ゲンの言葉が"ほんとう"なんだって、やっと私、分かったんだよ」
「ずーっと嘘だって思ってた?」

からかっているのだと思っていた。そう信じていないと惨めになりそうだった。
こういうのはゲンにとっては言葉での遊びみたいなもので、期待なんか絶対にしたらいけないと言い聞かせていた。

「男の子にかわいいなんて言われたことないし、どうしたら良いか分かんなかった」
「名前ちゃんはかわいいよ。俺がそうやって言う度にかわいくなる。世界一かわいいよ」
「ちょ、ちょっとやめてよ!全然懲りてない!」
「いや〜〜もうこうなったら言うしかないでしょ?」

さっきまでのしおらしさは何処へやら、膝にめり込んでいたはずのゲンの顔が急に生き生きとしだした。
挨拶のようなものだと思っていた言葉に真心がこもっていると知ってしまったら、なおのこと恥ずかしいじゃないか。

「こ、これからも毎日続く感じですか……」
「名前ちゃんが本当にイヤじゃなければね。嫌われちゃったら元も子もないし?」
「そういうのズルい」

今度は私が膝に顔を埋める番だ。明日から彼とどうやって話したら良いんだろう。私には見当もつかなかった。

「こんなことしなくても、ゲンなら一瞬で女の子を夢中にできそうなのに」
「できないこともない、けど」
「できるんかい」
「でも、悪くないって思っちゃったんだよね。こう地道に一歩ずつ?」

きっと私達は今、同じ人間の背中を思い浮かべている。
勇気を出して顔を上げて和らいだゲンの表情を見たら、また分かった。

「何度も何度も、転んでもただじゃ起きない誰かさんを見てたらさ」
「……うん。まあゲンは一回転んだら泣いたけどね」
「泣いてないからね!?」
「はいはい」
「ね、もう一回言っても良い?」
「許可とか取らなくていいから……」

再び俯いたのは失敗だった。
耳元で告げられたそれに、彼が欲しがっていた返事をどうにか声にして絞り出す。
いつの間にか背中から肩に回されていた腕に、そっと力が入った。



2019.12.7 花を愛でるように


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